医のこころ
一般社団法人 日本医療学会

認知症対策を政府まかせにしてはいけない

20世紀に人類の寿命は大きく伸びた。長寿は多くの臨床経験と生命科学、医療をめぐる科学と技術の大成果である。この人類の誇るべき大成果は、その一方で高齢人口の増加に伴う「認知症」という問題を招来した。この認知症患者の増加は未来の医療・社会保障制度への圧力となりつつある。この問題は医療が進歩した経済先進国に限った問題ではない。発展途上国を含めた全世界にとって社会的な脅威となりつつある。日本は経済先進国であるとともに高齢先進国でもある。いまや日本の動向は世界の注目の的である。政策大学院大学の名誉教授で、2013年のG8サミットで英国政府が立ち上げた世界認知症審議会(World Dementia Council、以下 WDC)のメンバーでもある黒川清氏は「日本は産官学のあらゆるステークホルダーが連携して対応すべきであり、認知症対策を世界と広く共有し、世界でのお手本・ガイド役を努めるべき」と主張している。

高齢化の進行は日本のみならず世界的な問題であり、2030年には世界の認知症は7470万人に達すると予想される。世界最先端超高齢社会の日本では、2025年には認知症が700万人に増加し、65歳以上の人口の約3分の1が認知症予備群となる。今や日本が今後、どのような認知症対策を講じるのか世界が注目している。

世界認知症審議会のメンバーに

日本医療政策機構代表理事、
政策研究大学院大学名誉教授、
GHITファンド代表理事、
東京大学名誉教授
黒川 清氏

私は、内科医であり、とくに腎臓を専門とする医師として日米で活動してきたが、この20年ほどは医学教育改革や様々な医療、科学、イノベーションなどの政策に深くコミットしてきた。しかし、認知症については必ずしもそうではなかった。その私に、英国政府が立ち上げた世界認知症審議会(WDC – 註1を参照)のメンバー就任を要請するメールが突然、届いた2014年4月のことだ。

註1;黒川 清。世界認知症審議会(World Dementia Council)と認知症の課題 https://goo.gl/fbqK8z ; 週刊 「医学の歩み」、257 巻 5 号 (2016 年 4 月 30 日)pp581-586 、出典 「アルツハイマー病 UPDATE」 https://goo.gl/h59ad3 。  

WDCは2013年に英国を議長国に開催されたG8サミットを経て、同政府が立ち上げた組織だ。G8サミットは、高齢社会、特に認知症をテーマに取り上げたことから“認知症サミット”とも呼ばれた。

私がメンバーに推挙された理由は、かねてから今後のアルツハイマー病対策には「デジタル技術の幾何級数的進化の重要性」を主張してきたことが、目にとまったためと推察される。

2014年4月にロンドンで開催された第1回のWDCの会合では、英国政府の認知症特使(Envoy)で臨床試験会社のクインタイルズの創立者でもあるDennis Gilling氏が座長を務め、英国政府の主任医療官Prof. Dame Sally Davies、世界銀行、OECD、ゲイツ財団、ウエルカムトラスト、さらに、J&J社、Hoffmann-La Roche社の大手製薬会社トップが参加した。アカデミア関係からは、私の他には認知症特にアルツハイマー病の米・独・仏の研究者、経済学者らが参加し、合計14人で発足した。

会合では、各メンバーがそれぞれの立場から発言したが、私は「デジタル技術に注目すべき」との視点を提示した。具体的には、①ビッグデータの活用、②ロボット技術の活用、③脳研究とデジタル技術のフロンテイアだ。

政府にすべてを依存しない姿勢が重要

こうした会議は永続して、開催されるべきであると考える。英国政府は認知症対策を「グローバル」へと進化させている。しかし現在、その永続性の鍵である資金や組織、世界での認知度、社会的なインパクトなど複数の課題を抱えている。こうした活動は政府の支援に全面的に依存するのでは続かない。国境を越えて産官学やメデイア、NGO(非政府組織) やNPO(非特定営利活動)法人などの多彩な組織が連携したPPP(Public Private Partnership)という組織こそが、ふさわしいと考えている。

認知症先進国である日本がこれまで何を行ってきたか。実は既に様々な試みが展開されている。地域の隅々まで、ビジスを展開しているコンビニエンスストアは地域社会で高齢者宅へ配送サービスを行い、銀行ではいたずらに頻回に来店する高齢者に特別な配慮をするなどの対策を講じている。郵便配達のネットワークも十分に高齢社会に残すべきインフラであるし、800万人を超える認知症サポーターの存在など、草の根では細かな高齢者対策、認知症対策が実行されている。これらは世界からも注目されてはいるものの、これらの活動の地域を超えた連携や、さらなる展開力は、英国などと比べてもまだまだ課題は多い。

日本ばかりでなく、多く国の認知症患者のケアは家族、とりわけ女性に負っている。多くの経済的先進国でも、多くの女性が認知症の親や家族の介護を引き受け、社会進出を断念している。さらに経済発展途上国や、これから成長してくる国では、政府の支援もさらに難しく、女性への負担は極めて大きい。こうした負担はGDPや政策決定の根拠となる統計に反映され難く、潜在化してしまっている。

これは大きな問題・課題である。言うまでもないことだが、発展途上国や、これから成長してくる国では、政府の政策的支援も極めて難しく、女性への負担は極めて大きいことは容易に想像されるところであろう。

財務状況も厳しい。日本は過去20年、GDPが増えてない数少ない経済的先進国である。20年ほど以前は国民一人当たりのGDPは世界でもトップレベルであったものが、今では世界の26~27位程度。国の負債はGDPの200%を超え、厚生労働省の医療・介護・社会保障予算にしてもこれ以上の増額は、難しい状況にある。

消費税の増加も政治の影響を受けてままならない。これまで社会保障に関わる問題は政府を動かすことが重視されてきた。しかし、今後は政府だけではなく、民間企業やアカデミア、さらに様々な活動領域を持つNGOやNPO法人を一体にしたPPPこそが認知症対策に必要な姿であると考えられる。

若者の自律的な活動の場としての認知症対策

WDCは英国の政府委員会であるが、日本に多数存在するいわゆる政府委員会と異なり、政府から独立している。日本のように事務担当の役所がシナリオを書くわけでない。アジェンダを設定し、2、3のプレゼン、議論、そして政府ができること、できないことなどを指摘し、さらに議論をしながら論点を整理することで、結論と新しい論点を考えていく。こうした活動は日本国内だけではなく、世界と問題を共有しながら進めるべきといえる。このような政策形成のプロセスは、WDCに陪席できた日本の厚生労働省の官僚にとっても、大いに参考になった、と聞いている。

私はWDCに独立した個人として参加している。このようなプロセスは官僚にも学者にも政治家にも、政策やそれぞれの課題と役割について“win-win”の関係をつくる機会になるはずである。日本は、産官学のあらゆるステークホルダーが連携して対応すべきであり、諸外国と連携して認知症対策のイニシアチブを取るべきである。

これからのWDCのような世界の活動が、日本の若い学者、ビジネス、官僚、政治家、NGOなどで 活動する一人ひとりにとっても、それぞれがどのような立場であっても、これから急速に変化する世界の中での日本の役割を実感し、自分のそれぞれ責務を実行していくかを思考し、活動するきっかけとなることを願っている。(談)

黒川 清(くろかわ・きよし)氏 

東京生まれ。1955年に成蹊高校を卒業し、62年に東京大学医学部を卒業。69年に渡米し、ペンシルバニア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、南カリフォルニア大学を経て、79年にカリフォルニア・ロスアンジェルス校大学医学部教授。83年に東京大学医学部助教授、89年に東京大学第一内科教授に就任。96年に東海大学医学部長。03年に日本学術会議議長、内閣府総合科学技術会議議員。06年に内閣総理特別顧問として第一次安倍内閣、福田内閣で活躍、同じく06年に政策大学院大学教授に就任。WHO コミッショナー等を勤める。11年に東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員長を務める、その功績によって2012年の米国科学推進協会(American Association for Advancement of Science (AAAS) の”Scientific Freedom and Responsibility賞”を受賞、また2012年の米国の外交誌Foreign Policyによる “Top 100 Global Thinkers” に選ばれる。2013年から内閣官房健康・医療戦略参与など。

ウェブサイト:www.kiyoshikurokawa.com

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