医のこころ
一般社団法人 日本医療学会

第7回「脱原発・脱炭素」で日本のガラパゴス化を脱出

「脱原発・脱炭素」で日本のガラパゴス化を脱出

「(安倍政権の)居抜き内閣」と言われ、新鮮味に欠ける菅義偉首相は就任初の所信表明演説で「デジタル庁の設立と2050年にカーボンニュートラルの実現」を宣言した。コロナ禍で日本の「デジタル化」の遅れが露呈、地球温暖化対策でも日本の「脱炭素化」は、海外で「化石賞」が贈られるほど「ガラパゴス化」が目立っていたからだ。

思い起こせば、11年前、自民党から政権奪取した民主党の鳩山由紀夫首相は「2020年時点で地球温暖化ガスを1990年比25%削減する」目標を打ち出した。当時、世界でも突出した数値で、「宇宙人」の面目躍如。それに挑戦する日本は「環境先進国」と評価された。ところが東日本大震災で原子力発電所が全面休止となり、この目標は2年足らずで撤回された。

とは言え、菅首相の「2050年カーボンニュートラル」は、すでに世界の121ヵ国・地域がコミット済み。一部マスコミの「菅首相の英断」との評価は、白々しい。この10年間で日本は、なぜ「環境後進国」に後退したのだろうか。

様々な原因があるが、日本独自の「電力事業の地域独占」と、それと表裏一体の政官財の「鉄のトライアングル」体制が大きな要因ではないだろうか。

戦後の高度経済成長期以降、日本の環境エネルギー政策には2回の大きな転機があった。1回目は1973年の「オイル・ショック」。その教訓は「脱石油・脱中東」だった。主力電源の火力の燃料が高騰した石油、そしてその調達先が政情不安の中東に偏りすぎていたからだ。

解決策として経産省・電力業界が選択したのが原子力発電。原発には地球温暖化ガスを排出しないという大きなメリットもあった。更に電力会社が原発に固執したのは、「電力自由化」へ備え、原発を主力電源にすれば、異業種から電力事業への「参入障壁」は極めて高くなる、と読んだからではないか。そして原発を原料調達が容易で安定している「準国産エネルギー」とまで吹聴した。

地域独占の9電力会社は地震・火山大国で「原発立地の適地がない」日本列島でこぞって各々の原発建設に乗り出した。その結果、建設地は地盤や災害リスクより「地元住民の反対が少ない過疎地」が選ばれた。

こうした思惑は2011年の東日本大震災に伴う福島原発事故で打ち砕かれた。2回目の転機は、この未曾有の「アトミック・ショック」。原発事故を引き起こし地球汚染の加害国になった日本の民主党政権は「2030年代に原発稼働ゼロ」の「脱原発」方針を打ち出した。

しかし、この方針も、わずか3ヶ月後に自民党政権が返り咲き、安倍首相の「原発をベースロード電源とする」方針により白紙に戻った。ところが肝心の原発は安全基準の見直しなどで、再稼働は進まず、石炭・石油の化石燃料火力の比率は低下しない。

目玉対策の「再生可能エネルギー」の開発は、既存大手電力会社は消極的。新電力会社も「自由化」が中途半端で、様々な障害が残り、伸び率は鈍い。日本発の「アトミック・ショック」でドイツを始め欧州諸国や、近隣の韓国、台湾までも「『原発ゼロ』の将来方針を打ち出した」とは対照的。結局、日本は2度の「ショック」に懲りず、教訓を活かせず、「脱原発、脱炭素化」で世界に大きく遅れを取った。

安倍前首相は「ドリルで全ての岩盤規制を砕く」と大見得を切った。ところが岩盤の中で最も巨大で強固な「電力の地域独占体制」は、錐で差した程度の「自由化」しか出来ていない。その証は「脱原発・脱炭素化」 の切り札の太陽光発電などの送電が既存の大手電力会社から「送電停止」される事態が相次いだことだ。

1951年に発足した地域独占の電力会社の地位と役割は特別だった。大戦で荒廃した電力インフラの整備と地方経済の復興に「公共投資の一環」として貢献した。地方では断トツに大きい殿様企業で会長は経済団体のトップを務めて来た。だから政府自民党、監督官庁の経産省・資源エネルギー庁と一体で強固なトライアングルを形成して来た。特に官邸主導の安倍政権では官邸官僚は経産省出身者がリード、地域独占を揺るがす「電力自由化」や「脱原発」の動きにはブレーキが掛かった。

こうして見ると菅首相が掲げる「脱炭素化」は安倍前首相が「悪夢のような」と形容した民主党政権時代の方針に立ち返り、この10年間の「遅れを取り戻す作業になる」と疑いたくなる。菅首相の得意技は人事権を握って官僚を動かし、許認可権を振りかざして業界を従わせる。この「権力行使」の手法でNHKや携帯電話の料金引き下げを画策、「値下げおじさん」の異名をとる。

今や世界一の電力会社だった東京電力は原発事故で傷つき実質「国有化」されいる。総括原価方式で収益確保が保証され、電気料金が認可制の電力会社は菅首相にとって攻め易い相手ではないか。菅首相は「ガースー」などと間の抜けた愛称で笑いを取るのではなく、「脱炭素化」をしっかり実行し、地球温暖化の「ガス抜き」をして欲しい。

この「コロナ・ショック」が3度目の正直。ここで「脱原発、脱炭素化」に舵を切り「再生可能エネルギーの開発とその関連技術・産業を発展させる」グリーン リカバリーを実行しなければ、「日本再建」はない。90年前に世界5位の経済力を誇ったアルゼンチンは今年通算9回目の「デフォルト(債務不履行)」を宣言、破産状態に陥っている。日本も28年前は世界のトップだった国際競争力が今年は34位と過去最低に落ち込んだ。もうこれ以上の「アルゼン沈下」は避けなればならない。


2020・12・21
上田克己

プロフィール

上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
2013年 同 顧問
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞

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